『男性学基本論文集』読書メモ

2024年1月に刊行された男性学基本論文集』(勁草書房)は、今の日本(の男性/男性学)に欠けている視点をたくさん含んだ論文集です。読んでいる期間、ずっと刺激的で幸せでした。

日本型男性学では、ついつい男性の非抑圧性男らしさの話に終始してしまう風潮がありますが、背筋を正すにはちょうどいい一冊だと感じました。

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ヘゲモニック(覇権的)な男性性が、ドミナント(支配的)な男性性と混合されて使われすぎという指摘があります。以前から平山亮さんが指摘していたはずなのですが、私もすっかり忘れていました。二度と忘れません。

ヘゲモニックな男性性は、性の不平等を正当化するために「使える」男性性のこと。なので、単に「最近はこういう男性(例:サラリーマン、異性愛男性)に権力が偏っているよね〜」という話ではないのです。


さて一点、「男性性」の説明はわかりやすくて良かったのですが、「男らしさ」という語との区別がされているのかどうか気になりました。どちらも"masculinity"の訳語として使われることがありますが、日本語では違う概念として、一応私は捉えているので.....。

 

後半では「III 軍隊・戦争研究のなかの男性性」と「 IV 歴史学のなかの男性性」がガッツリ扱われていて興奮しました。歴史研究は男性学ど真ん中でありながら、男性学的な文脈に位置づけられていないままバラバラに配置されている印象があったので、この扱いは嬉しかったです。


個人的にお気に入りの一本は、キャロル・コーンによる「防衛専門家たちの合理的な世界におけるセックスと死」です。

フェミニストである著者が大学の防衛技術・軍備管理センターで参与観察のため一年間過ごしてみたら、さまざまなことが見えてきた話。「抑止」のためという欺瞞で核保有する男たちが、いかに「クリーンな」言葉や性的メタファーを用いて現実に起きている殺戮を曖昧にしているか。

しかし、しまいに自分自身もすっかり防衛家たちの技術戦略的言語の世界に染まってしまい、核戦争の犠牲者のことなど浮かばなくなってしまう、というそら恐ろしい体験が書かれています。イスラエル軍がAIで攻撃目標を定めているとき、まさにこの状態なのか、と。


「2 ハイブリッドな男性性――男たちと複数の男性性に関する社会学の新しい方向性」は、原文を読んだことがありました。私が特集編集を担当させていただいた『エトセトラVOL.10(男性学特集)』の、編集長フェミ日記で言及していた論文と同じです。


平山さんも解説でチラッと触れていますが、ケアリングな男性性と呼ばれる、現在期待される男性性が、

このハイブリッドな男性性に回収されてしまうのは危険でもあります。すでに仕事のできる特権的な地位の男性が、さらに追加で「家事も育児も」できるようになればいい、という話ではなくて(つまりイクメン的な男性が増えればいい、という単純な話ではない。イクメンという語では男性間の階級格差が隠されており、はなから資本主義下で「個人の努力」が可能な一部の男性しか想定していない)。

ケアリングな男性性の構想においてより根源的な、「支配の拒絶」という点に重きをおいて、浸透していくのが望ましいのでしょう。


あとジェフ・ハーンの、「6 「ヘゲモニックな男性性」から「男性のヘゲモニー」へ」は、じっくり考えたいところです。

一冊通して読み応えがありました。