父親運動とインターセクショナリティ

離婚後の共同親権を可能にする民法などの改正案が参院本会議で審議入りしたとのこと。夫婦がうまくいかない状況で、ただでさえ忙しい家庭裁判所が仲介するメリットがわかりません。歴史的に、男性の父権・夫権(ダブルふけん)は並々ならぬ権力を持ってきましたが、その範疇なのでとても嫌な気持ちです。

 

社会におけるマジョリティ側の性別である男性は、集団としての男性運動を展開することが難しいと言われます。確かに、その通りです。女性運動やフェミニズムが担ってきたほどには、”男性であることによる”生存の危機を感じていないので、男性たちは主体的に変化を起こそうとしません。

 

ただ、今せっかく制度における「父親」の意義や定義を考える機会なのだから、かたちばかりの「父権」だけでなく、もっと現実の問題にアクセスできないものなのか、というもどかしさも感じます。すでに権威を得ているマジョリティ男性の話ばかりではなく、そうではない「父親」の話はどこいった?と。

(もちろん至急の問題として、DV被害を受けてきた女性や子どもたちが離婚後までも共同親権を押し付けられることへ抵抗するのは当たり前ですし、リアルタイムで重要度が高いのでしょう。また、女性からのDVを受けてきた男性にとって、離婚後も関係が続くのはしんどいと思うのですが、推進派はそのような男性の声は聞いたの?)

 

もし父親のための父親による父親運動が行われるのであれば、そこには不正義としか言いようがない女性差別の解消という目標のほか、(男性内の)インターセクショナリティも含まなければダメだと思います。

 

例えば、人種的マイノリティの男性は家族形成を阻害されてきました。黒人家庭における父親不在の問題はまさに男性問題であり、残された女性(黒人女性である妻)にとってもフェミニズム上の大きな課題です。黒人男性が奴隷制・失業・大量投獄などで早死にするケースは改善しなければなりません。(※イヴァン・ジャブロンカ『マチズモの人類史』参照)

 

例えば、障害のある男性が強制的に不妊手術を受けさせられてきたことも、特定の男性が不当に父親で居させられなくなる状況を作り出してきました。

私の視点では、トランス男性も似ています。不妊状態の男性であり、法的に父であることを認められてこなかった男性だからです。2013年に最高裁判決で、戸籍を「男」に変更済みのトランス男性が、法的にも「父」になれることが決まりましたが、それ以前は叶わなかったわけです。(※前田良『パパは女子高生だった  女の子だったパパが最高裁で逆転勝訴してつかんだ家族のカタチ』参照)

 

婚姻制度は、男性の“生殖からの阻害”を助けてあげる制度だといえます。

自分で妊娠・出産を経験しない男性の場合、自分の子は本当に自分の子なのか?といつまで経っても確証らしい確証は得られず、おそらく不安なのでしょう。

それでも、婚姻制度が「あなたはこの子の父親ですよ」と示してくれるので、男性はその身分に安住することができます。だからこそ、集団としての男性は婚姻制度に固執します。ただ、この共同親権推進運動はこだわり方がさすがに気持ち悪く見えます。

 

2024年4月1日にはようやく、女性の離婚後100日間再婚禁止ルールがなくなったようです。それまで残っていたのが信じられないですよね。子どもを妊娠する可能性のないトランス女性やトランス男性に対してもこの無駄なルールが適用されるのか?と気になっていたところなので、なくなったこと自体はよかったですが....。

『トランスジェンダーQ&A 素朴な疑問が浮かんだら』完成しました。

タイトル通り、本が出来上がりました。

青弓社さんから出る本は、基本的に大きめサイズで帯ナシのようです。

例に漏れず、本書もその規格です(最近だと『宗教右派フェミニズム』なんかが同じサイズ)。

www.seikyusha.co.jp

 

手に取った感想、

とても読みやすい!意外と軽い。文字のフォントがやさしげ。

とても良いじゃないですか。

 

トランスジェンダー入門』をもう読んだ人にも、読んでいない人にも勧めたいです。

第2章ではトランスジェンダーにまつわる基本情報をまとめているので、本書がトランス関連で最初の一冊だという人でも読みやすいのではないかと。

 

第3章と4章はトランスヘイト言説っぽい、「素朴な疑問」に応えています。

友人と縁を切る前に、本書を読んでもらえるといいのではないでしょうか。

かくいう筆者も、かつて友人だった人と縁を切っています。ジェンダーレストイレがどうのこうの、という話しかできなくなってしまったので。他に、積もる塵もあったわけですが。

 

表紙(裏側も)のイラストは、トランス男性のアーティストであるMiyabi Starrさんが描いたものです。トランスネス溢れるイラスト、いいですよね。

 

 

あきらから(n通目)ニューハーフの誕生

五月あかりと周司あきらという二人のトランスジェンダーが出会って、往復書簡を初めて、もう随分経ちました。2022年春から夏にかけて交わした手紙は、『埋没した世界 トランスジェンダーふたりの往復書簡』という書籍になっています。

www.akashi.co.jp

ちなみに、その後もペースを落としながら往復書簡は続いています。

続編が刊行されるかはわかりませんが(売上次第?)、今回のブログではその一部を公開します。周司あきらから五月あかりさんへの手紙です。

 

五月あかり:男性から女性に同化していったノンバイナリー。Aセクシュアル

周司あきら:女性から男性に同化していったトランス男性(FtM)。パンセクシュアル。

 

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 あかりさん、今週はまた新たなお風呂を開拓して、楽しかったですね。休憩所も充実していましたし、未読だった『島耕作』シリーズの続きを読めてニヤニヤしてしまいました。恋愛に無関心なあなたがいかにもな恋愛の少女漫画を手に取っていて、あまりにもちぐはぐな姿でしたよ。いったい何を「読んで」いるのだろう?

 

 それにしても、初めて顔を合わせた頃よりあなたの体つきは丸くなった気がします。なんというか、女性の身体はメディアで目につくものだとある程度は健康的にみえる肉づきでありながらも痩せているビジュアルばかり歓迎されているわけですが、女湯でよくわかるように、実際の裸体はみんなもっとふっくら丸々していて、あるいは年取った人だと心配なくらいに肉が削げ落ちたりしていて、可視化される表象とは異国の風景ですよね? 老いや油脂があるのがリアルなんです。で、あなたも徐々にそうなっていくのかもしれない。不思議です。そもそもこんなに長生きするつもりも毛頭なかったのに、私たちはまだ歳をとっていくのかな。 

 

 さて、ちょっと面白いエピソードもあります。

 小学生のとき、必修で使う習字道具を買わなければなりませんでした。色は、ピンクっぽい赤か、青の二択です。私はどちらの色も好きではありませんが、まだマシなので青を選びました。ところが、周囲の女子は全員赤で、男子は全員青だったのです。私だけが女子集団のなかで青でした。ちなみに、私たちの学年はその学校のプログラムで習字道具を購入する第一世代だったので、上の子の「お下がり」ではなく、(他校から転校してきた子や、習い事で習字道具をすでに持っている子を除けば)みな自分好みの色を選択できたはずなのです。自由に選択していいはずなのに、この分断は何なんでしょう?

 そういうわけで、妹は私の「お下がり」を使うように親に言われて、「青なんてイヤだ!」って文句を言っていましたよ。悲鳴をあげた、という方が近いかも。この件では私よりも妹の方が、トランス的な経験をしたのかもしれません。異なるジェンダー(を彷彿とさせる色)を強制させられた、という点で。結局妹は青い習字道具を使ったのか、新しく赤を購入したのか、記憶にありませんが、でも赤い習字道具の記憶がいっさいないので、たぶん我慢して青い習字道具を使ったのだと思います。でもこんなこと、私たちのような「姉妹」でなくとも、性別の異なる上のきょうだいがいる生徒は、そのお下がりを使うケースも多いだろうに「他者と違う」とか「好きな色じゃない」というくらいで何を今さら、という感じではあります。

 

 そうそう、トランスジェンダーの生活環境には、そのきょうだいの性別構成がどうなのかによって差があるそうです。そりゃそうですよね。たとえば男きょうだいのいるトランス男性は、阻害感やコンプレックスを抱きやすい一方、男モノの衣服にアクセスしやすいとか。逆に女きょうだいのいるトランス男性は、「同じ女」という扱いのもと姉妹や母親から仲間意識のうちにとどめておかれやすいとか。「足を引っ張るシスター」ですね。私の予想では、妹のいるトランス女性は、すごいきつそうだなと思います。あとから生まれてきた子が、自分にはされなかった「女の子」扱いを存分に受けているのをみたら、嫉妬で狂いそう。

 それに生まれてくる子の性別は、父母の権力関係にも大きな影響をもちます。生まれてきた子が男の子だった場合、父親がヘゲモニーを握りやすく、母親の居場所がなくなりがちです。逆に子が女の子だった場合は母親が活発になります。

 私の家庭のように、女の子が続けて生まれた家庭では、母親が萎縮しすぎることはそんなになかったと言えますし、むしろ父が「男ひとり」として居心地が悪そうにしていることがありました。まあ私は「息子」ではなかったにしろ、例外的に父とRPGやラジコンや虫とりをする機会があったので、そこは父も退屈しなかったのかもしれません。ここだけ読んで私の家庭が円満だったと早とちりしないでほしいのですが、とはいえ性別分けの少ない幼少期は不幸なことばかりでもなかったのかもしれません。

 

 ここからは話を戻し、最近ふたりで触れた話をしましょうか。

ーーこれまで日本で「ニューハーフ」として認知されてきた人たちこそ、「性同一性のないトランスジェンダーの女性」だったのではないか。

 あかりさんのこの予想、とっても面白いです。「性同一性のあるトランス女性」ならば、「性同一性が女性」であり、病理概念としての「性同一性障害」という居場所を見つけることができました。女性として埋没したいんですよね? はい、そうです。と即答できたことでしょう。

 

 一方、「あなたは女性ですか?」と聞かれてもなんとも居心地が悪い、ただし生活実態や実践としてはもはや女性である、といった人たちが、代わりに「ニューハーフ」として、「性同一性が女性」ではないためにまるで「第三の性」であるかのような枠組にはめられていたのではないか。

 ちっとも詳しくないのですが、「女装」コミュニティのなかにも「性同一性のないトランス女性」がいるのだと予想できます。もちろん「ニューハーフ」のなかには、一芸を持って活動したい「性同一性のある」トランス女性もいれば、今でいうノンバイナリーの人も含まれていたでしょう。でも、うまく言語化できないとしても存在していたはずなのです、「性同一性のない」トランス女性たちが。

 

 これまでトランスジェンダー界隈は、性同一性(ジェンダーアイデンティティ)概念に頼りすぎてきました。シスジェンダーに納得させるためには都合がよかったのかもしれません。

 第一に、性同一性が身体と不一致であるといった説明から「性同一性障害」という医療領域と手を結びやすくなりました。病理概念としての立場を確立できれば、存在そのものが無視されたり悪魔化されたりする惨状は、ぐっと避けやすくなったのだと思います。何より、医療を伴って望む性別の実態を手に入れやすくなりました。そうやってジェンダーアイデンティティ・ポリティクスをトランスコミュニティは成り立たせそうと必死になってきました。

 第二に、性同一性は確かにある、でもシスジェンダーはマジョリティだからこそ無自覚なんですよ、とシスジェンダーの反論を塞ぐことが可能になりました。もちろん実際はトランス側の主張がそのまま聞きいられるやさしい世界なんて無いにしても、理論上は「ほら、あなたたちシスジェンダーはマジョリティだからふだん見なくて済むだけで、性同一性というものを持ってるでしょ?」と促せるのです。で、シスジェンダ―のうち「性同一性のある」人たちはそれにすっかり納得してくれます。

 だから性同一性の点からトランスを擁護するよう、トランス側は自身のコミュニティを育ててきたように見受けられます。

 

 ところが、私のようなヤツが存在しました。「性同一性は終生男性で変わりません」なんて言わされても困る、とっとと男性として存在させてくれたらそれで生きられそうだからほっといてくれ!というタイプの、「性同一性のない」トランス男性が。私を「男性」として有徴化しないでほしいし性別なんて不要だが、でもこの性別のある世界ではどう解釈したって「男性」に分類されてしまうようなトランスジェンダー

 

 性同一性がない、でもトランジションが必要だった人たち。もしこれまで生き延びてきたニューハーフの人たちが私に近いマインドだったのだとしたら、なんだか妙に心強い気もします。

 

 あとこれは偏見ですが、ニューハーフの人たちって「誰を好きになるか」という性的指向も同時に語る人が多いのかなと思います(とくに、性的指向が男性に向くケースを想定しています)。逆にいえば、性的指向における違和感を意識することによって、「性同一性のない」説明の難しさを、代用しやすかったのではないか。

 このあたりは、私もそうです。「私は男性です」なんて思ったことがないし、言わされても困る。でも、自分が誰を好きであるかはわかる。それが受け入れられないことも、わかる。なんかちがう。この社会で、私はおかしい? 性同一性は、ない。でも「好き」はわかる。何かがへんだ。この受け皿が、「男が好き」で、かといって「べつに女じゃない」とか冗談言いつつも、どうしても女である、ニューハーフの人たちだったのかも。

 少しだけ先人の遺産を継いだ気分。

あきら

 

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『埋没した世界』好評発売中です。手紙のやりとりで交わした言葉がデザインされている、綺麗な表紙が目印です。

五月あかりと周司あきらの各1通目がWebあかしで無料公開されています。

webmedia.akashi.co.jp

青弓社から『トランスジェンダーQ&A 素朴な疑問が浮かんだら』出ます。

これでこの話は終わらせよう、というつもりで書きました。

トランスジェンダーQ&A 素朴な疑問が浮かんだら』という本が青弓社から出ます。

発売予定日は、2024年4月25日です。

 

www.seikyusha.co.jp

 

  • 第1部 性別の重み
  • 第2部 基礎知識
  • 第3部 性別分けスペース
  • 4部 「トランス差別はいけないけれど気になる」疑問

全部で4部構成です。

大きな疑問に対して、派生する細やかな質問が64個並んでいます。どれも大事な話ですが、今たくさん読まれるべきなのは「第3部 性別分けスペース」なのでしょう。

以前、高井ゆと里さんがトランスジェンダーとトイレに関して「問われているのは、排除」という分かりやすい記事を書いてくれましたが、このように手順を踏んで現実を理解しよう、というのが一冊丸ごと書かれている感じ。

 

 

類書との違い

1、トランスジェンダー入門

同じく高井ゆと里さんと書いた『トランスジェンダー入門』は、基本的な情報を詰め込みました。

www.shueisha.co.jp

新たに青弓社から出す本は、新書とは違って、「これってトランスヘイトかな?」というグレーゾーンの疑問に真正面から答えるかたち。

 

2、Q&A多様な性・トランスジェンダー・包括的性教育 バッシングに立ちむかう74問

似たような問題意識から、大月書店『Q&A多様な性・トランスジェンダー・包括的性教育 バッシングに立ちむかう74問』もありますね。

www.otsukishoten.co.jp

『Q&A多様な性・トランスジェンダー・包括的性教育』は一問一答形式であり、デマ対応に効くと思います。包括的性教育へのバッシングとトランス差別の繋がりも見えてきます。

 

青弓社の本も趣旨は同じですが、内容はけっこう違うかもしれません。

一問一答というよりは、順を追って「まず前提はどうなっているんでしたっけ?」と確認していく構成になっています。

あと、口語体でちょっと痛快です。表紙もお楽しみに。

 

読書メモ『ゼロへ そこから先がオレの人生』

『ゼロへ そこから先がオレの人生』読んだ。

www.hanmoto.com

 

この本は読む機会がなさそうと思っていたけれど、結局手に取った。

毎日新聞記者の著者が、ひとりのFtMとその周囲の人間を取材した記録。描かれる人物は「トランス男性」というより、「前略プロフィール」で「真のFtM」を探し求めた、ザ・FtMという感じ。


主人公の智輝は、「FtM狩り」と称して自分より「男らしくない」「中途半端な」FtMに暴力を振るって、傷害容疑で告訴された。

(私はFtM狩りされる側の人間だろうな、と思っていたので積極的に読む気がしなかったのです。)


FtMという集団内部における覇権と、社会全体におけるFtMの周縁化された男性性のありっぷりはズレてるよな、と感じた。


小学5年性の頃から手作りの偽チンを使っていた智輝が、留置所では偽チンを持ち込むことができなかったエピソードは、胸が痛い。まさしく幻肢痛のようだったのではないかな。


親族の対応で、印象的だったエピソードがある。

智輝に第二次性徴がはじまり、胸にラップを巻いて生活するようになった時、

「ラップがあっという間になくなることに気づいたおばあがある日、「最近、ラップがすぐになくなる」と言った。智輝は知らんぷりを決め込んだ。毎日4メートルほどのラップを使ったので、30メートルロールのラップは1週間でなくなった。おばあが何を思ったのかはわからなかったが、何も言わずにたくさんのラップを買い置きしてくれた。」(p143-144)

『エトセトラVOL.10』男性学選書フェア

こんにちは、周司あきらです。

2023年11月に発売した『エトセトラVOL.10』にあわせて、エトセトラブックス(東京都)の店内で選書フェアを開催していました。

etcbooks.co.jp

そのとき選んだ25冊と、選書コメントを公開します。希少な本も取り扱っていただいた、エトセトラの皆さんに感謝します。

 

「あらためて男性を考えるために~キーワードから選ぶ古書・新刊書~」

  1. 『はじめて語るメンズリブ批評』

蔦森樹編(東京書籍)

 メンズリブの活動が日本で認知されておよそ10年(本書刊行は1999年)。メンズリブが女性問題に無関心なメンズクラブになっているのではないかという編者の問題意識に始まり、「わたし」という視点から何かを言いたい、と思った10人によるメンズリブ批評。メンズリブがCR(意識高揚)を行う癒しの場として機能する一方、その先に「男/男らしさの解体」を望む声も当時から上がっていた。

キーワード:メンズリブ、解体

 

  1. 『男がみえてくる自分探しの100冊』

中村彰、中村正編(かもがわ出版

 1997年時点で100冊にのぼる著書を紹介したアイディア・ブック。男たちは「男らしく」なるための自己改造を繰り返してきた結果、自分自身を見失ってしまった。たしかに男らしさを習得することは公的領域での地位を保証しやすいため、社会的存在としての男性は特権持ちでプラス地点にいるように見える。とはいえ、それは個々の男性にとって「利がある」というよりも、「男らしさというサビがこびりついてしまっている」状態なのかもしれない。ゼロ地点の「ありのままの自分」に回帰するための思索が求められる。

キーワード:男らしさ、男性論

 

  1. 男性学入門』

伊藤公雄(作品社)

 「1990年代は、“男性問題”の時代がはじまるだろう」。伊藤の予言通り、大学の男性学の授業には学生からの高い関心が寄せられ、マスメディアは数々の男性問題――過労死、自殺率の急上昇、定年離婚、冬彦さん現象(マザコン男性)、濡れ落ち葉(妻についてくる定年後の夫)など――を取り上げた。古い男らしさの鎧を脱ぎ捨てるための、男性学初の入門書。

キーワード:男性学、男性問題、主夫

 

  1. マスキュリニティーズ 男性性の社会科学
    レイウィン・コンネル、伊藤公雄訳(新曜社

 男性学の基本的視座を確立した古典的文献。男性性は、時代や文化によって多様なだけでなく、ひとりの人間の内ですら矛盾した様相を見せる複雑な概念であり、だからこそタイトル“Masculinities”は複数形だ。男性性の間の諸関係を述べた節は有名だが、それがより具体的にみえる第4章以降のオーストラリア男性の調査報告も意義深い。

キーワード:複数の男性性、覇権的男性性

 

  1. 『男性は何をどう悩むのか 男性専用相談窓口から見る心理と支援』
    濵田智崇・『男』悩みのホットライン(ミネルヴァ書房

 メンズリブの活動の中から生まれた、男性対象の電話相談の記録。男性の悩みといっても、仕事のことは案外少なく、性に関する悩みが多数寄せられるという。男同士でケアできるようになること、内的な変化を起こすことに、男ならではの展開も見出せるだろうか。

キーワード:メンズリブ、心理、ライフサイクル

 

  1. 男性危機(メンズ・クライシス)? 国際社会の男性政策に学ぶ

伊藤公雄、多賀太、大束貢生、大山治彦(晃洋書房

 経済不況やフェミニズムの主流化など外部の動きに対して男性が敏感になるのは、なにより「男であること」や「男らしさ」の繊細さが露わにされるからだろう。男性主導社会が根本的に揺らぎつつある今、日本の男性運動の歴史や海外の先進事例を参考にして具体的政策を考える。

キーワード:剥奪感の男性化、政策、メンズリブ

 

  1. 『わたしは女 特集:男らしさ そのつくられた神話(1977年12月)』

JICC出版局

 特集に寄せられた各テーマは、男がつくられた存在であることを暴く。学校教育の場では家庭科すら受けてこなかった男の子たち、父権的ではない母系制集団、偏見を押しのけていくゲイの人権闘争、女たちが惚れる男像を憶測して目指す男、仕事と結婚する男、台所に口を出す男……。現代のイメージと異なる「男らしさの神話」もあれば、呆れるほど信奉され続けているものもある。

キーワード:男らしさ、女らしさ、家政学異性愛

 

  1. 強制された健康 日本ファシズム下の生命と身体

藤野豊(吉川弘文館

 ファシズムは人間を資源として戦争に動員するため、極端な優生学的人口政策を実行した。国民の体力強化のため、1938年に厚生省設置。「人的資源」にはなり得ないと判断された精神障害者知的障害者ハンセン病者は「非国民」扱いされた。厚生運動が強制する「健全な娯楽」の対極に置かれた娼婦は管理されつつ、排除もされた。国が認める身体のため厳しい体制が敷かれたファシズム期(本書では日本の1937年〜1945年を指す)の影響は、男性のもつ身体が「健常者」前提で「強い」ものとばかり想定される現在においても発揮されているのではないか。

キーワード:ファシズム、健康、身体

 

  1. 『草の根のファシズム 日本民衆の戦争体験』

吉見義明(※文庫は岩波書店

www.iwanami.co.jp

 独裁的なイタリア・ファシズムやドイツ・ナチズムとは形態が異なる日本独自の新体制のつもりで民衆が支えていた、天皇ファシズム。それは日中戦争、アジア太平洋戦争を引き起こし、日本を崩壊させた。戦後も日本民衆の多くは「帝国」意識を持続させ、戦争責任を感じることはなかった。単なる被害者でありはしない民衆の声を拾い集めた1冊。

キーワード:ファシズム天皇制、帝国主義

 

  1. 「慰安婦」問題ってなんだろう?

梁澄子(平凡社

 女性差別であり民族差別である戦時性暴力。軍慰安所が組織的に作られていたにもかかわらず日本軍の責任は不問にされ、義務教育では事実が抹消されてきた性奴隷制度、いわゆる「慰安婦」問題。都合の悪い#MeTooを聞かなかったことにする旧態依然の社会を打破するためにも、「慰安婦」問題は忘却されてはならない。だが、戦争で傷つけられてきた個々の女性たちの存在をすっ飛ばしてしまうとしたら、現状は何も変わらないだろう。まずはこの1冊からでも。

キーワード:戦争責任、性暴力、#MeToo

  1. 『サラリーマン ワイマル共和国の黄昏』

ジークフリート・クラカウアー(法政大学出版局

 原著は1930年刊行。ベルリンの生活を形作っていた、「ハイカラーのプロレタリア」であるサラリーマンの実態に迫る。サラリーマンの存在は誰の目にも明らかだからこそ話題にのぼらない、会社の指導的地位は企業外部の者によって占められる、中高年層は一旦解雇されたら雇われない、一面的な作業ばかりで視野が狭められる、など今日でも変わらぬ指摘の数々。

キーワード:サラリーマン、合理化、家父長制

 

  1. 男性史3 「男らしさ」の現代史

阿部恒久、大日方純夫、天野正子編(日本経済評論社

 これまでの歴史(history)を、男性の歴史(his-story)として編み直す『男性史』全3巻は、どこから読んでも興味深い。第3巻は、敗戦から現在まで。祖国再建のための経済戦争に乗り出し、天皇(国家)から企業に帰属・献身の対象を替えた男たちを追う。麦倉哲「男らしさとホームレス」も収録。

キーワード:男らしさ、サラリーマン、ホームレス

 

  1. 『ハゲを生きる 外見と男らしさの社会学

須永史生(勁草書房

 身体のままならなさを示す現象に、男性の「ハゲ」がある。ハゲだと自認する男性は、男らしさの鎧を身にまといたいわけではなくとも、いかに堂々としているか〈人格のテスト〉に直面させられる。江原由美子の「からかいの政治学」を援用し、伊藤公雄の「鎧」論を批判する本書は、男性学の幅を広げてくれるだろう。

キーワード:ハゲ、鎧、男らしさ

 

  1. 日本の童貞

澁谷知美(※文庫は河出書房新社

 「童貞」とは何だろうか。定義からして曖昧だが、学問の世界で「男の性は放っておかれたまま無傷」というわけにもいくまい。かつて童貞は、新妻にささげる贈り物として守られるべき美徳とされた時代もあったが、男子の貞操が「キモい」ものに移り変わり、恥とされたのはいつからだろう。本書は、童貞をめぐる戦前・戦後の雑誌記事の分析をとおして、童貞に興味をもつ社会を浮き彫りにする。仮性包茎の話と合わせて読みたい。

キーワード:恥、身体、メディア

 

  1. 介護する息子たち 男性性の死角とケアのジェンダー分析

平山亮(勁草書房

 男性の生きづらさが話題になるとき、夫像・父親像に焦点が当たりがちだった。だが、ほとんどの男性は息子である経験をする。息子としての男性が語られないとしたら、そのことを避けているからではないだろうか。本書は老親介護という、息子としてしか存在しえない場での男性の経験をジェンダーの視点から分析する。自立し自律した個人として語られる男性が、実際のところ私的領域では受動的で依存している存在だと、多くの人は気づいてきたはずだ。

キーワード:ケア、息子、お膳立て、男の下駄

 

  1. トランスジェンダーの私がボクサーになるまで

トーマス・ページ・マクビー、小林玲子訳(毎日新聞出版

 「男の初心者」であるトランス男性が、男社会で「男らしく」行動することを探る。男は弱く、切なく、孤独だ。だが何より男らしいとされるボクシングの世界に入ると、表向きの暴力の陰で、多くの男に欠けている「やさしさ、スキンシップ、弱さを見せること」などがもたらされるのだと著者は発見する。男が人とつながる媒介手段として暴力がある事実は心苦しくもあるが、それだけではない関係の結び方も本書は提示する。

キーワード:トランスジェンダーの男性、暴力、孤独

 

  1. さよなら、男社会

雄大亜紀書房

 女性の境遇を知るにはフェミニズムの本を読めばいいのに、なぜわざわざ男性を介して理解するのか?と冒頭に懐疑的にもなるが、自力でじりじり探求していく著者の筆はこびにどこか心地よさを覚える一冊だ。男性の一生は、学校教育で正当化される暴力、戦争体験のある父からの影響、企業への動員など、「戦い」のアナロジーの連続であった。

キーワード:男性性、権力関係、戦争体験のトラウマ

 

  1. 男子という闇――少年をいかに性暴力から守るか
    エマ・ブラウン、山岡希美訳(明石書店

 白人女性で母親である著者は、息子の成長を助けるために自分自身がどう変われば良いのか考え出した。やがて判明したのは、少年たちがいかに多くの身体的・性的暴力に遭い、あるべき姿に対する制約を受け、羞恥心や恐怖心に直面しているかという、公衆衛生上の危機だった。男の子同士で親しい友人関係を失う年齢層は、ちょうど彼らの自殺率が急上昇する年齢層と重なる。「有害な男らしさ」という言葉は、少年たちが直面するプレッシャーを言い合てているが、議論の余地をなくすものでもあるため一旦その言葉を捨て、少年たちの現実を捉えていく。

キーワード:性被害、少年、プレッシャー

 

  1. イクメンじゃない「父親の子育て」 現代日本における父親の男らしさと〈ケアとしての子育て〉

巽真理子(晃洋書房

 男らしい子育てをするだけでは、性別役割分業を変えることはできない。本書では父親の子育てをメディアや父親へのインタビュー調査より分析し、イクメンとは異なる父親の子育てへの新しいまなざしを示す。男性研究をする女性の著者は、女性からは「男に甘すぎる」と言われ、男性からは「男に厳しすぎる」と言われるそう。全然厳しくはないと思う。

キーワード:父親、イクメン、育児、性別役割分業

 

  1. 『プリテンド・ファーザー』

白岩玄集英社

www.shueisha.co.jp

 「俺たち、一緒に住まないか?」一人で子育てをする、正反対の男二人が同居することに。「自分が世の中のスタンダードだって思ってる」タイプのサラリーマン・恭平がゆっくり自分を変えていく姿と、ケアに従事し「相手に気を遣いすぎている」シッター・章吾の鬱屈とした胸の奥が交互に描かれるこの小説は、和やかだがスリリングな家族の有り様を提示する。良い父親のフリをしても、現実はそうキレイにいかない。

キーワード:シングルファーザー、育児、サラリーマン

 

  1. パパラギ はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集

エーリッヒ・ショイルマン、岡崎照男訳(SBクリエイティブ

 時代や地域によって称揚される「男らしさ」は異なるが、先進国とされる地域の男たちに「開拓」や「進歩」が期待されたことは想像に難くないはず。だが、はじめてパパラギ(=白人)たちの「文明社会」に触れた驚きを、南海サモアの酋長ツイアビの視点からみたらどうだろう?本書はドイツの作家によるフィクションとされるが、「文明社会」の豊かさに染まりきって自分自身を放棄してしまった人間にとって、真実味をもって受け取られるメッセージに満ちている。

キーワード:文明、仕事、自然

 

  1. 増補 女性解放という思想

江原由美子筑摩書房

 「女性解放」はなぜ難しいのか。女性が男性と同じ地位や成功を望んでいるのだという思い込みは、まさに巧妙にしくまれた「差別」から生まれている。現実の不平等性が指摘されるだけでは、決して差別は論じられないのだ。本書には、性差別に満ちた社会を男性が考える際のヒントも散りばめられている。ウーマンリブ運動への揶揄を論じた「からかいの政治学」収録。

キーワード:フェミニズム、性差別の次元、からかい

 

  1. ホワイトフェミニズムを解体する インターセクショナル・フェミニズムによる対抗史

カイラ・シュラー、川副智子訳、飯野由里子監訳(明石書店

 フェミニズムは一枚岩ではなく、たくさんの間違いも犯してきた。中流以上の白人女性を主たる対象としたホワイト・フェミニズムの陰で、有色人種や先住民やトランスジェンダーなどは「フェミニズム」の名の下に抑圧された。だが同時に、そうしたマイノリティ女性たちは既存の差別構造を打ち壊すインターセクショナル・フェミニズムを模索してもきた。邦訳タイトル通り、ホワイト・フェミニズムは解体されなければならない。だが、そんなフェミニズムを生み出した背景にいるホワイトな(特権性のある)男性たちは、本書を読んでどうすべきか?

キーワード:フェミニズム、インターセクショナリティ、優生思想

 

  1. 勇気ある女性たち 性暴力サバイバーの回復する力

デニ・ムクウェゲ、中村みずき訳、米川正子監修(大月書店)

 コンゴ民主共和国で組織的レイプに遭った女性たちを治療するムクウェゲ医師。「世界のレイプの中心地」と報道されるコンゴだが、コンゴ人男性がとりわけ危険であるわけではない。性暴力は世界的に起きており、家事の分担、相続の伝統や葬儀などあらゆる場面で、男性が「自分の方が優れており、自分の命のほうが大事なのだ」と思い込まされる環境が変わらない限り、女性に対する不正義は持続するに違いない。そしてまた、コンゴ人女性がレイプされる背景には、我々がもつスマホやパソコンの部品となる、鉱物の支配権争いがある。

キーワード:性暴力、レジリエンス(回復力)、グローバルサウス

 

  1. 『Letters For My Brothers: Transitional Wisdom in Retrospect』

Megan M. Rohrer, Zander Keig編(Lulu.com)

www.goodreads.com

 7年以上前に性別移行をした19人のトランス男性が、「男」として生活する前に知っておきたかった知恵を分かち合う手紙のコレクション。移行後の経験やそこから見える景色が語られることはこれまで少なかった上、男性とは何かの洞察力に富む。男性嫌悪を内面化しつつ自身も男性化していくしかなかったエピソードに、シンパシーを抱く人は少なくないのでは?「トランスあるある」エピソードには、笑いどころもあり。

キーワード:トランスジェンダーの男性、男性性、ロールモデルの欠如

 

 

以上、25冊でした。

選書し終わってから出会った本で、これも入れておけばよかった〜〜!という本が数冊あったのですが、それはいずれ紹介できたらいいな。

トランスジェンダーや男性学関連で今後やりたいこと

やりたいことというよりは、やるべきことも含まれますが。

 

・2024年中に男性学の本を出す

:今書いてます。男性(学)全般の話になる予定です。「男性運動」といったときに、男性学でよく参照されるような「家事・育児系」と「メンズリブ系」の運動だけでなく、好ましくないけれどアンチフェミ的な「男性運動」も広く含んで考える必要があるよなーーやりたくはないけれど、という感じ。

 

・『トランスジェンダー男性学2』を考えたい

:上記とは別で。トランス男性が男性学にどう政治的に組み込まれていくか、あるいは既存の男性学を少しだけ批判・解体するか、Trans manを中心に考えていく必要もある。「トランス男性の参加者もいますよ」的な、ぬるい多様性包摂では話にならない。構造を少しでも変えたい。それには国内の情報と、他地域のトランス男性の情報を摂取するので、10年くらいかかるかもしれない。

2021年末に出させてもらった『トランス男性による トランスジェンダー男性学』では説明不足だったところや、今となってはイマイチな箇所もあるので、刷新したいですね。

www.otsukishoten.co.jp

 

トランスジェンダー関連の情報を組織的にまとめる

:2023年10月には、戸籍変更するための性同一性障害特例法の要件に違憲判決が出ました。今後法律の中身が変わったり、新しい法律ができたりするでしょう。しかし当事者がそのことを知らないままで、「しなくてもよかった手術」をしてしまうのは不幸だなと。だから当事者向けと、アライ・報道陣・教育者向けのまとまった情報源が二つほしいところ。

 

男性学で戦争の話をする

なんだか戦争モードが高まっているのを日々感じます。男性学のテーマで「女性(women)」と「仕事(work)」だけでなく、「戦争(war)」の話も引き受けなければならないと思う。

 

・日本の植民地支配の歴史を知る

上記と関連して、戦争のことを語るには東アジアの歴史も知っておきたい。欧米圏の輸入だけでは日本のことが語れないため。というか欧米の情報源では、日本は自国を「被害者」ポジションで見がちですが、そうじゃないでしょう。

 

・パンセクシュアルの視点から

男性学では異性愛者の男性と、それに従属させられるゲイ男性の構図ばかりですが、異性愛者でも同性愛者でもない、でもときにどちらの話も「自分ごととして」わかってしまうパンセクシュアル(全性愛者)の立場で物事を考え直したい。政治的パンセクシュアルのあり方をも模索したい。

これには同性愛関連の蓄積に頼ることになるので、何年もかかりそう。

 

・男性が男性学を知る機会を増やす

これは具体的にやりたいこと。できれば2024年中にひとつ。

 

・男性がフェミニズムを知る機会を増やす

学校で生理の話をするとき、男子生徒が教室から追い出される場面ってありませんでしたか?それと同じで、フェミニズムが「男性のための」ものだとはちっとも思わないけれども、はなから「退出」させられているような状況があって、フェミニズムが何か知る前に忌避感や抵抗感を持ってしまっているのだとしたら、それは問題だなーーと思う。

 

・早く創作したい

今は論文読んだりカチッとした本を読む機会が多いけれど、早くフィクションに取り掛かりたい。ひと通り「男性(学)」に向き合った後は、非人間的な生き物たちと向き合いたい。これから情報統制が厳しくなったら、こうした自由も奪われるのかもしれないが、負けない。

 

顔出しや声出しをせずに今のまま何かするとしたら、出版物に頼るしかないのかなという感じです。本当は、さまざまな表現方法で生存を知らしめる方法があり、社会を変えていく手段があるのだから、記述することの権力性に依拠しすぎたくはないけれど、現実問題、身を隠しながらできることが執筆に偏ってしまうようです。