トランス差別の「素朴な疑問」あるある

(初出:2023年3月7日)https://ichbleibemitdir.wixsite.com/trans/post/idea_trans_discrimination

 

面倒くさいからパッと書きました。とりあえず3問だけです。私はトランスの男性に該当する、周司あきらといいます。

 

これはあまり熟考せずに回答した私の考えにすぎないので、当然別の回答をする人もいると思います。そりゃあそうですよね、ある集団全体の意思を反映するなんて不可能ですもの。それに第一、答える必要などないとも思います。テキトーに相手がつくり出した土俵に、なんで上がらなければならないのだ。

 
 

Q、トランス男性は男子トイレや男湯に入りたがってないのに、トランス女性ばかりが女子トイレや女湯に入りたがっていて迷惑ですよね?

 

 

A、はあ。まだトイレと風呂の話がしたいですか?シスジェンダーの人はトイレと風呂の話題が大好きみたいで、呆れてしまいます。

 

トイレと公衆浴場を同列に語るのはあなたが性別分けスペースの運用において、その場で何が優先されているかを知らないからなのかもしれませんね。

 

少しだけ説明します。トイレ一つとっても、それが職場のトイレなのか、だとしたらカミングアウト済みなのか、それとも自分で性別違和に気づいたばかりなのか、あるいはとっくに性別移行を済ませて埋没できている(=トランスジェンダーだと第三者に知られずに生活できている状態)のか、で違いますし、駅のトイレのように「ぱっと見の外見」で判断される場所なのかどうかで「性別運用のされ方」は違います。昔からの友人と一緒にいるときには「ふだんは男子トイレを使っているけれど、今は女子トイレに入らなきゃ」という事態もあり得るのです。場によって、「性別」に重点が置かれる要素は異なるということです。2023年7月に『トランスジェンダー入門』という新書を刊行予定でして、そちらでもう少し詳しくお話ししています(さらっと宣伝)。

 

性別移行を経験したことがないシスジェンダーの場合、あたかも「すべての場は、すべて同じ基準で性別分けがなされている」「たとえば、身体の性別とか」と勘違いしがちですが、そんなにわかりやすく分かれてないのですよね実は。この辺は、私も性別移行をしてみて実感したことです。男女どちらのトイレも利用するとか、女湯も男湯も利用したことあるとか、そういうことが可能な人自体、トランスジェンダーのなかでも数が少ないですし、想像が難しいのは理解しますが、つまりは知らないならトランスジェンダーの人から学ぶしかないんじゃないでしょうか。

 

バイナリーなトランス女性が人口の0.1%、トランス男性が0.2%くらい、出生時と異なる性別に移る少数のノンバイナリーを含めても、うまく自己の性別に合わせた性別スペースを利用できている人はその半分いないくらいでしょうから、めちゃくちゃ数が少ないです。

(参考:トランスジェンダーはどれくらいの割合で存在しますか

 

ちなみに私の場合、「女性」から「男性」への社会的な性別移行を経ていますが、たとえばカラオケ店で女子トイレは広々とした化粧スペースが設けられていたのに、同じ店の男子トイレはずいぶん窮屈で、ただのトイレにジェンダーの差が持ち込まれていてヘンだなぁとか思いました。あと男子トイレってゴミ箱が設置されていないことが多いのですが、この辺もサニタリーボックスがあって当たり前だと認識しているシスの女性は知らないみたいで、驚かれました。ないんですよー。

 

あと、「トランス女性(男性)が女子(男子)トイレ/女(男)湯に入りたがる」という言葉のチョイス、すごく変です。

男湯を利用している近所のおじいちゃんは、「男湯を利用したがっている」「男湯に入りたがっている」のでしょうか。日本語の問題?ただ単に用を足したいだけでしょうから、「その性別の」空間を利用することにこだわっている、という解釈を加えるのは恣意的すぎませんか。

 

まあ、パス度(トランスジェンダーの人が自認する性別に見られる度合い)が高くなって、なに不自由なく性別分けスペースを使いたい、という意味合いで「男湯に入りたいトランス男性」とか「女湯に入りたいトランス女性」という言い方ができなくはないでしょうが、「素朴な疑問」を持ち出す非当事者がそういう当事者の苦悩を慮って言葉を用いているとはまったく思えないので、純粋に押し付けがましい偏見だなーと。

 

昔も今も、性別分けスペースに関しては「利用したい」+「利用できる」人が利用している、という事実は変わりません。「利用したい」とは、トイレなら排尿や排便、公衆浴場なら入浴を求めているということです。「利用できる」とは、トランスジェンダーの人にとってはそれ以外の生活空間においても大体「パス」できていて、問題なく利用できそうだと判断できる状態に至ったことを指すでしょう。シスジェンダーの人ほどのんべんだらりと利用できないのは大きな足枷ですが。ついでトランス以外に関して言えば、誰かの介護や介助がなくとも自分で行動できるとか、その土地のルールや風習(公衆浴場にタトゥーはダメだとか、外国でトイレの使い方を把握しているか等)に即してOKかどうか、という判別(そして排除)がなされています。利用したくても「利用できない」人たちは、トランスジェンダー云々の前からいるのです。もし誰もが使いやすい空間をつくるのなら、「シスジェンダーしかいない」「健常者しかいない」「自国民しかいない」といった前提からスタートするのをやめるべきでしょう。

 
 

Q、トランスジェンダーが気軽に戸籍(や身分証)を変えられるようになったら、トランスジェンダーのフリした犯罪者が出てきてしまうでしょう?

 

 

A、知りません。トランスジェンダーが気軽に(法的な)性別変更できる国・地域なんてありません。医師という第三者の診断抜きで性別変更できる国はすでにあります(セルフIDと呼ばれます)が、そもそも医師は他人なのですから自分の身分証を直すのに許可なんて要らなかったのです。

 

身分証だけ変更したところで、他の生活全般で性別移行できていなければ多大な困難を生みます。何を当たり前のことを、とつっこまれるかもしれませんが、この生活の連続体を意図的にすっ飛ばしている人が多そうなので。ですから、「身分証一つで社会的な混乱が生まれる」という扇動に乗らないでくださいね。身分証一つ変えただけでは困るのは、その「身分証として役立たずな」身分証を持ってしまった当人なのですから。

 

ここでは日本の話をしますが、戸籍を変更するための特例法があることはご存知でしょうか?日本の特例法、国際的にもあり得ないレベルで厳しいんですよ。「結婚してたらダメ」「子どもは持つな、もし子がいるなら成人済みにならなければ子が混乱してしまうからダメ」って、どれだけ右派政権は家族に介入するのでしょう。

 

「性器を切除したなら、本物の『女』『男』として認めてやってもいいぜ」って何様ですか?特定の属性に不妊化要件を課すことは、これまでも有色人種や障害者に対して行なってきた、優生思想に基づく差別です。さっさとなくしましょう。

 
 
 

え?女湯に未手術のトランス女性が入ってきてしまうって?

 

よかったですね、公的な身分の話をしているときに、ごくごくごく一部の公衆浴場の話に全てを矮小化できるほど、あなたがふだん性別の運用方法に無頓着でいられるなんて。羨ましいです。日頃から知り合いの性器を全員分チェックしているわけではないでしょうに。他人の性器や身分証とはまったく無関係に、人間関係の「場」は営まれているのが実情かと思います。そのことをどうか思い出してください。

 

病院で治療が拒否される、就職できない、家が借りられない、強制帰国させられる、留置所や刑務所で見殺しにされる、結婚できない、子どもを育てていても法的な繋がりが確保できない、そうした生活の全般について話しているときに、話を逸らさないでください。

 
 

Q、トランスジェンダーの権利と女性の権利が衝突してしまう!女性の権利を優先するのが、シス男性のやるべき課題でしょう?

 

 

A、落ち着いてください。迷惑です。

 

まず言葉を訂正すると、「トランスジェンダー」の中には「トランスの女性」が含まれており、「女性」の中には「トランスの女性」が含まれています。だから言葉の範囲が被っていて、何を言いたのか伝わってきません。たぶん、後者は「シス女性の権利」と言いたいんでしょうけど(シスとは、トランスではないという意味です)。

 

フェミニズムって知ってますか?トランスジェンダーの求める課題と、シス女性が求める課題って重なり合うことが多くて、ともに協力してきた歴史があります。なんだか昨今の扇動記事だと、まるでトランスの権利とシス女性の権利が衝突していてどちらかしか優先されないかのような間違いが流布していますが、そんなことはありません。「トランス女性は女性ではない!」と主張して女性の輪から弾き出す人は20世紀の運動でも見られたことですが、そうした排除以上に、トランスの女性と共に歩んできたシスの女性フェミニストたちも大勢いました。トランス女性に「性加害者」の偏見を押しつけるあまり、彼女らの性被害が多いのだという事実を忘れないでください。歴史について、『ホワイト・フェミニズムを解体する』という本はオススメです。

 

トランスの男性やノンバイナリーがどこまでフェミニズムの主体となってやっていられるかは議論されることがあり、私の考えでは「トランス男性はフェミニズムにたくさん関与してきたしその成果もあるけれど、男性として生きていく上で男性学メンズリブという方面で考えていく必要もある」と思っています。つまり、フェミニズムだけでは足りない。『トランス男性による トランスジェンダー男性学』という本では、そうした問題意識を述べたつもりです。

 

なので、トランスジェンダーにはトランスジェンダーのポリティクスが、そして男性をやっていくトランス男性には「女性の権利」や「フェミニズム」という範疇では掬いとれない「男性としての」課題が、きっとあるだろうとは理解しています。しかし話を戻すと、それはシス女性の求めていることと衝突や対立しているわけではないので、できることを全部やっていけばいいではありませんか。

 
 

シス男性のやるべきことは、盛りだくさんですね。資本主義におけるマジョリティ男性の優位性を問い、婚姻制度における「夫」や「父」の覇権を疑い、トランスジェンダーを追いやる法制度や医療に対する異議申し立てをし、障害者や妊娠した人や雇用のない人らを排除しない公共空間の形成(『フェミニスト・シティ』はオススメです)、そして一方的に「男性のあるべき姿」を押しつけてきた政府や戦争に対する反対(『厚生省の誕生 医療はいかにファシズムを推進したか』『男性史3 「男らしさ」の現代史』はわかりやすいかも)など、その他諸々やってください。ああ忙しい。

 
 

そして矛盾するようですが、シスの男性が案外とても「脆い」存在だということを自覚して、(誰かを比較したり蹴落としたりしてその成果に依存するのではなく)ありのままの自分を受けとめることも、大事なことだと思います。男性だって脆い作りものにすぎないんですから。

 

くだらない冗談ですが、「ペニスがあるから自分は男」と思っているシスの男性がもしもいるならば、別にそんな性器の凹凸の差違によってあなたの性別や生活が貶められるというわけではないので安心してください、と言いたいです。トランス男性の陰茎形成術だって、元はといえば戦争で性器を負傷したシス男性を助けるための手術が、トランス男性にも転用されてきたものなんですよね。

 

シスの男性のなかにはいつまでも「トランス男性は身体女性だ」と信じたい人もいるみたいですが(それはそれで埋没勢は助かるのかもしれない、みんなが無知でいてくれたら)、実際のところ、そもそも男女の性差はいうほど大きくなくて「性類似」(レイウィン・コンネル)ですし。

 

シス男性とトランス男性の身体って、似通っているんですよ。(このことは性別移行中で、でもまだ納得いくかたちで「パス」できていないトランスの当事者には素直に納得しづらいことだと思います。私もそうでした。でもなぜか、あるとき「男性」とみなされ出して、ホルモン投与半年後にはすっかり「(シスの)男性」さながら埋没してしまったことがあり、「女性の身体」と「男性の身体」には実のところ大差なかったのだと理解しました.....。)

 

シスとトランスの「近さ」女性と男性の「近さ」が受け入れ難いのだとしたら、シス男性の方には「男の身体は強いに違いない、強くあるべきだ」という「男らしさ」にかけられた呪いと一旦向き合ってほしいものです。「男は強くあるべきだ」という洗脳が、女性などマイノリティに対する暴力にも繋がっているのであれば、男性がまず男性自身の思い込みに対峙することも必要なはずだからです。己のミサンドリー(男性嫌悪、男性蔑視)から逃げないで。

 
 

トランスジェンダーの抱えている問題について知りたい人は、『トランスジェンダー問題』を読んでほしいです。大抵のことが書いてあります。

 

もし内容や文量的に困難ならば、100分の1スケールでまとめた記事(「トランスジェンダー問題」はシスジェンダー問題である)も以前掲載してますので、確認していただければ幸いです。