「男性性」概念の拡張

「男性性」とは何か。使用者によってバラバラなのが現状である。

男性性は、「masculinity」の訳語として「男らしさ」と同一視される機会が多く、例えば「覇権的(ヘゲモニック)な男性性(Hegemonic Masculinity)」という語を、「覇権的な男らしさ」と表記する媒体も見かける。

とはいえ、少なくとも私は「男性性」と「男らしさ」はそれぞれ別のものを指していると考えているし、男性学の研究者でも分けている人が多いように見受けられる。

 

平山亮さんは『男性学基本論文集』で、男性性とは

「男性に関するリアリティのつくられ方」ないしは「男性に関するリアリティ」

だと述べる。この捉え方だと、確かにその後の文章が読みやすい。

 

男性学の大家とも呼ばれるレイウィン・コンネルさんは、以下のように簡単に定義する。

ジェンダー関係における場(place)であると同時に、男性と女性がそうした場に関わることを通じた実践(practices)でもあり、さらにこれらの実践の身体体験やパーソナリティおよび文化の中での諸結果(effects)でもある 
(レイウィン・コンネル『マスキュリニティーズ―――男性性の社会科学伊藤公雄訳、新曜社、2022年、p.92-93)

 

この定義に対し、全然簡単ではないだろうと言いたくなる気持ちはわかる。

ここでの要点は、男性性は本質的でもなければ、規範的でもなく、広範囲の事象から形作られる、関係性に根付いたものということである。

とはいえ、コンネルの「男性性」概念やそれに影響を受けた蓄積物が、男性性を用いるとき「すでに男性である人」を自明視している点は否めない。

 

 

私は、「すでに男性である」ことが自明ではない者たちにも、男性性という概念を適応できると考えている。

 

そのために、以下三つの捉え方を持ちこみたい。

第一に、トランスジェンダーの説明でよく用いられる「ジェンダーアイデンティティ(gender identity)」「実感された性別(experienced gender)」「潜在意識下のセックス(subconscious sex)」などの概念に似たものとして、より内面に食い込んだところにある、実感や性に関するイメージに男性性を見出すというアプローチである。

 

第二の可能性としては、第一とは逆に、より動的な、反復行為を通して成立する構築物として捉えることができる。

参考:小口藍子「パフォーマティヴィティを援用する男性/男性性研究の考察―――理論から展望へ」(国際基督教大学ジェンダー研究ジャーナル『ジェンダー&セクシュアリティ』第19号、2024年、p.1-20)

 

第三に、男性やリアリティのつくられ方ではなく、男性性そのものを連続体で捉えて射程を広げることも可能だろう。

参考:藤高和輝『ノット・ライク・ディス

 

簡単に言えば、第一は内的な側面、第二は外的な側面、第三は概念そのものの引き伸ばしを提案している。これらが導入されると、「すでに男性である」ことが自明ではない者たちにも、男性性概念を使った分析が可能になるはずだ。

とりわけトランスジェンダーの人々(特にトランス男性とノンバイナリー)、男性的なレズビアンである「ブッチ」、女子スポーツチームにおける「メンズ」の人たちの間に、男性性概念がどう機能しているのか/いないのか、に関心がある。