性的応対力という尺度

他者を交えた性的関係において、
「性的応対力」と呼べるような尺度が導入されると、もっと話がしやすいのになーと思うことがあります。これは、性愛感情や性的指向や性欲などとは関係のない、性の話です。

 

性的応対力

・・・自分が積極的に望むわけではなくとも、相手の求めに応じて、性的サービスを提供できる能力。その有無や程度。

 

(その概念が必要だと感じた歴史的経緯は次のブログに書きました。

今回の話だけでは、個人の文化・価値観の他に、不可視化されたケアワークの側面として「性的応対力」を指摘していることが伝わらない書き方になっていたため。)

akira-shuji.hatenablog.com

これを指す言葉として、性的対応力、性的応対力、性的接待力、性的適応力などを思いつきました。「接待」の場合は、「客をもてなすこと」のニュアンスがしっくりきたのですが、「性的接待」という語になると女性コンパニオンが金持ち男性の性的なリクエストに応じる、といったニュアンスが強い気がしたのでやめました。今回は「性的応対力」という語を用います。

「応対」とは、人を相手に、何かしらの受け答えをすることを意味します。

 

日常的に使われている力かと思いますが、典型的には、セックスワーカーに期待されている能力はこれに近いのではないかと予想します。とくに、レズビアン女性だけどヘテロ男性向けの店で働いている人や、ヘテロ男性だけどゲイ向け風俗で働いている人は、自身の性欲や性的指向や好み・タイプなどとはまったく無関係の客を相手にしているわけなので、この性的応対力の高さが際立つような…。

 

また、他者に性愛感情を抱かないAセクシュアルの人でも、他者に求められればまあいいか、と性的なコミュニケーションに応じられる人は、性的応対力がそこそこあることになるのでしょう。

※性愛感情はなくとも他の理由・目的(スポーツ感覚や非日常体験など)で積極的にセックスを望むAセクシュアルの場合は、このケースに当てはまりません。自分の求めで主体的にその行為を行なっているため。

 

逆に、一対一のモノアモリーなお付き合いが好きで、「恋人以外とは絶対にセックスしません!」という人は、パートナー以外には性的応対力を発揮する気がないのでしょう。

とはいえ、一対一の関係といっても、一人の人間のなかには多様な時期がありますし、気分の変化もあります。普段なら一対一で進んでセックスするけれど、今はとくに希望はないな、でもパートナーがしたがっているから要求に応えてあげよう、などと「相手の求めに応じて」性的サービスを提供するのであれば、そのときその人は性的応対力を発揮したことになります。

ということは、歴史的に女性は男性より多く、性的応対力をもつように躾けられてきたのかもしれません。セックスという“愛の労働“を夫のためにする妻、という図式はまさにそれです。そもそも他人同士の欲求が完全一致することはまずないので、その分の「補正」を誰かは担っているはずで、そのときに使われているのが性的応対力です。

 

(すると、前述のセックスワーカーと妻(主婦)が「相手に提供しているもの」の共通項に、この性的応対力があるといえそうです。性的なコミュニケーションをする際に、恋愛感情も性愛感情も尊敬も性欲も必須ではないし、性的指向も関係ない場合がありますものね。積極的な同意とは言いにくいかもしれませんが、「まあいいか」で相手の要求に応えてあげる、ということはあるでしょう。むしろありふれているように見えます。そして、そのことがすぐさま性暴力であるわけでもありません。)

 

今回のブログでは、「自分の主体性とは関係なく、でも相手に求められればその期待に応えてあげてもいい」程度の、性的な主体性?受容力?を言い表したくて書きました。「したいor したくない」の中間には無限のグラデーションがあるはずなので、その狭間を埋めるために使えるかなと。すでに類似の語があったら教えてください。

 

 

追記ーーー

意図と真逆の読まれ方をしているっぽいので、追記。

「性暴力の肯定のようだ」というコメントがあったのですが、たぶん性的に嫌な思いをしてきた読者からしたら読みたくない記事だったのかなと思います(それはごめんなさい)。ただ、おそらくあなたの「嫌な経験」を説明するための尺度として書いているわけではないので、自分ごととして引き受けて読むのは間違っています。

むしろ、「この性的なコミュニケーションには100%の同意や欲望の合致がある」と信じるほうが危ないのではないでしょうか。セックス同意書に◯をつけたのだから何してもOK、と思いこむのと変わらない。そうではなく、(常に)性的応対力が介入している可能性があるのだから、相手はいま自分に性的応対をしてくれているだけで、「私のことを好き」とは限らないのだな、などと一歩引いて権力勾配に自覚的になる際に、役にたつ尺度でしょう。