覇権的な男性性(ヘゲモニックな男性性:Hegemonic Masculinity)という概念は、ジェンダー研究に多大な研究を与えた。と同時に、批判もされてきた。オーストラリアの社会学者レイウィン・コンネルは、『ジェンダーと権力』『マスキュリニティーズ』などで、男性性には複数あること、それらに階層性があることを論じた。そのうち、覇権的な男性性は家父長制を理解するキー概念であった。
日本の男性学・男性性研究においても、覇権的な男性性の説明が度々用いられてきた。たいていは「その時代、その社会で最も称揚されている男性性」や、「支配的な」「理想的な」男性性、と理解されることが多かったと思う。
しかし、その説明は、のち2005年にコンネルとメサーシュミットによって公開された論文を踏まえないまま、誤った説明で流布してきたものだ(これは元のコンネルの説明が不十分だったためでもあるが、参照する人々が脱文脈化して利用してきたからでもある。その後再考論文を書いているので、日本語圏でもそちらを参照すべきである。再考論文からもすでに20年経過している)。
これまで平山亮は、2020年の論文「「男性性による抑圧」と「男性性からの解放」で終わらない男性性研究へ」や、『男性学基本論文集』でそのことを批判している。平山によれば、覇権的な男性性は「「不平等なジェンダー関係を致し方ないものとするために「使える」男性性」」である。
また、川口遼も、「R. W. コンネルの男性性理論の批判的検討 : ジェンダー構造の多元性に配慮した男性性のヘゲモニー闘争の分析へ」(2014)で男性性のプロセスに注目するように述べてきた。
このブログでは、ごく簡単に、「Hegemonic Masculinity: Rethinking the Concept」の要点を列挙した。なお日本語訳にする際、翻訳サイトを用いたので、誤訳や日本語のおかしな点も目立つかもしれない。
Hegemonic Masculinity: Rethinking the Concept
Author(s):R. W. Connell and James W. Messerschmidt
Source: Gender and Society, Vol. 19, No. 6 (Dec., 2005), pp. 829-859 Published by: Sage Publications, Inc. Stable
―――最初に、論文では以下の経緯が書かれている。
・「覇権的な男性性」という概念は、数百もの論文、幾度かの学会テーマになってきた。批判もあった。覇権的な男性性という概念を包括的に再検討することは価値があるように思われ、もしこの概念がまだ有用であると証明されるなら、現代的な用語で再定義されなければならない。
・もともと覇権的な男性性は、複数の男性性と力関係のモデルを提案した論文「男性性の新しい社会学に向けて」(Carrigan, Connell, and Lee 1985)の中で体系化されたものである。
・グラムシ由来の「ヘゲモニー」概念は階級関係を理解するために当時(70年代後半?)流行していた。しかし、歴史的変化に目を向けないままジェンダー関係に転用するのは、誤解を招くことだった。
―――続いて、5つの批判とそれへの応答がある。
・1990年代初頭にこの概念に関する議論が始まって以来、5つの主要な批判が提唱されてきた。
1 The Underlying Concept of Masculinity 男性性の根底にある概念
2 Ambiguity and Overlap 曖昧さと重複
3 The Problem of Reification 具象化の問題
4 The Masculine Subject 男性主体
5 The Pattern of Gender Relations ジェンダー関係のパターン
「Hegemonic Masculinity: Rethinking the Concept」では、それぞれの批判を順番に評価し、覇権的な男性性という当初の概念からそのまま残す価値のあるもの、そして今では再定義が必要なものを発見することを目指す。
批判1:男性性の根底にある概念
リアリストとポスト構造主義という2つの異なる視点から言えば、男性性という概念の根底に欠陥がある。CollinsonとHearn(1994)、Hearn(1996、2004)にとって、男性性の概念はあいまいで、その意味が不確かであり、権力と支配の問題を軽視する傾向がある。
あるいは、Petersen(1998、2003)、Collier(1998)、Maclnnes(1998)にとって、男性性の概念は、男性の性格を本質化したり、流動的で矛盾した現実に誤った統一性を押し付けたりするものであり、欠陥がある。
1への回答:
男性性に関する膨大な文献の中には、概念的な混乱や本質化することが多くあることを否定することはできない。しかし、男性性という概念が混同され、本質主義的なものであるに違いない、あるいは研究者がこの概念を使うのは一般的にそうである、と主張するのはまた別の問題である。
とりわけ女性の身体を持つ(AFABのトランスジェンダーを含む)人々によって演じられる男性性を研究者が探求してきたという事実は、本質主義から離れている(Halberstam 1998; Messerschmidt 2004)
批判2:曖昧さと重複
この概念に対する初期の批判では、覇権的な男性性を実際に体現しているのは誰かという疑問が提起された。社会的に大きな権力を持つ男性の多くが、理想的な男性性を体現していないことはよく知られているからだ。
マーティン (1998) は、この概念は一貫性のない適用につながると批判している。また、ウェザレルとエドリー (1999) は、この概念は覇権的な男性性への適合が実際にどのように見えるかを特定していないと主張している。
2への回答:
たしかに批判者は、使用上の曖昧さを正しく指摘している。しかし覇権的な男性性を固定的で歴史的なモデルとして用いるべきではない。そうした場合、ジェンダーが歴史に根ざしたものであり、男性性の社会的定義が変化してきたという膨大な証拠を無視してしまうからだ。
他方で、ジェンダープロセスの曖昧さは、覇権のメカニズムとして認識することが重要かもしれない。覇権的な男性性は、実際の男性の生活と密接には一致しないこともある。
また、覇権的な男性性は、他の男性性と区別され際立っているのではなく、共犯的な男性性とある程度の重なり合いや曖昧さを生じさせている可能性も高いだろう。
※共犯的な男性性とは、自らは覇権的な男性性ではないが、家父長制から恩恵を受けている男性性のこと。数のうえでは大多数の男性に見られるであろう。
批判3:具象化の問題
覇権的な男性性の概念は、実際には権力や有毒さの具象化に還元されるのではないかという批判がある。ホリアー (1997、2003) は、覇権的な男性性が、女性の従属という構造的基礎からではなく、女性の直接的な経験から男性的な権力を構築すると主張している。
3への応答:
ジェンダー関係内で構築された男性性の階層を、女性の家父長制的従属と論理的に連続しているものとして扱うのは誤りである。数々の研究が、覇権的な男性性の概念が物象化に囚われていないことを示している。
また、覇権にはさまざまな形態があるため、暴力やその他の有害な慣行が、常に覇権的な男性性の定義に当てはまる特徴とはならない。実際、ウェザレルとエドリー (1999) が皮肉にも指摘しているように、特定のローカルな状況で「男らしくある」最も効果的な方法の 1 つは、地域の覇権的な男性性から距離を置いていることを実証することかもしれない。
覇権的な男性性の概念は、包括的なものでも主要な原因でもなく、社会プロセス内の特定の力学を把握する手段である。概念的に普遍的なものは何もない。
批判4:男性主体
覇権的な男性性の概念は、不十分な主体理論に基づいていると主張する批判者もいる。例えばホワイトヘッド (2002, 93) は、覇権的な男性性の概念は構造のみを「見る」ことができ、主体を見えなくすると主張している。
4への応答:
男性性は、特定のタイプの男性を指すのではない。むしろ、男性が言説的実践を通じて自らを位置づける方法を表すものだ。ある男性が、望ましい場合には覇権的な男性性を身につけることもありうるが、同一の男性が、他の場合には覇権的な男性性から戦略的に距離を置くこともある。
覇権的な男性性の概念が構造決定論に還元されるという ホワイトヘッド(2002) の主張には、断固として反対する。
批判5:ジェンダー関係のパターン
ジェンダーの社会理論では、機能主義の傾向がしばしば見られてきた。つまり、ジェンダー関係を自己完結的で自己再生的なシステムと見なし、すべての要素を全体の再生における機能の観点から説明する傾向がある。
さらに踏み込んで、デメトリウ (2001) はジェンダーの歴史性を認めつつも、別の種類の単純化が起こったと批判している。デメトリウは内部と外部の 2 つの形態の覇権を特定している。「外部覇権」(=一般的に「家父長制」が指すもの)は、男性による女性に対する優位性の制度化を指し、「内部覇権」(=男性集団内の力関係)は、あるグループの男性が他のすべての男性に対して社会的に優位に立つことを指す。デメトリウは、この 2 つの形態の関係は、この概念の元々の定式化では不明瞭であり、現在の用法では明確にされていないと主張している。デメトリウが「ハイブリッド化」「弁証法的実用主義」と呼ぶような、覇権的な男性性が他者から役立つものを盗用することで男性支配を継続する方法を、元の覇権的な男性性概念では見逃すことになる。
5への応答:
男性の優位性と女性の従属性は、自己再生的なシステムではなく、歴史的なプロセスである。覇権的な男性性に関しても、習慣を通じてであれ、その他のメカニズムを通じてであれ、自己再生する形態ではないというかなりの証拠がある。
デメトリウ (2001) の「内部覇権」における弁証法的実用主義の概念化は有用であるが、今のところハイブリッド化が地域レベルまたは世界レベルで覇権的になったと考える理由はほとんどない。
―――そして、覇権的な男性性の見直しと再定式化がなされる(日本語圏では、この見直しが十分に引き継がれていない)。
保持すべきことは、この概念の基本的な特徴である、男性性の多様性と男性性の階層化の組み合わせについてである。この基本的な考え方は、20 年間の研究経験で十分に立証されている。
また、覇権的な男性性は、少年や男性の日常生活において最も一般的なパターンである必要はない(多数派だから覇権的な男性性である、というわけではない)という当初の考えもよく支持されている。むしろ、覇権は、男らしさの模範(プロスポーツ選手など)を生み出すことによって部分的に機能する。男性や少年のほとんどが十分にそのとおりに行動していないにもかかわらず、その象徴は権威を持つ。
そして棄却すべきことは、以下2つの特徴である。この2つは、批判に耐えらえれるものではなかった。
1つ目は、覇権的な男性性を取りまく社会関係のモデルが単純すぎたことである。1987年の『ジェンダーと権力』の定式化では、すべての男性性 (およびすべての女性性) を、男性による女性に対する「世界的な優位性」という単一の権力パターンで位置づけようとした。しかし現在では、この説明は明らかに不十分である。
たとえば、ジェンダー関係における優位性にはコストと利益の相互作用が伴い、覇権的な男性性への挑戦は疎外された民族集団の「抗議的男性性」から生じ、ブルジョワ階級の女性は企業や専門職のキャリアを築く際に覇権的な男性性の側面を盗用する可能性がある。明らかに、ジェンダー階層を理解するためのよりよい方法が必要である。
2つ目は、男性性のさまざまな構成の実際の内容を特徴づけようとしたときに、特性用語に頼ることが多く(覇権的な男性性を、「白人」「異性愛者」「経済的に豊かである」といった固定的な特徴と結びつけてしまったことを指しているのだろう)、それに代わるものも提示できなかったことである。
これは、覇権的な男性性を固定された性格タイプとして扱う道を開き、非常に多くの問題を引き起こした。
上記の研究と批評を踏まえて、覇権的な男性性の概念は、以下4 つの主要領域で再定式化する必要がある。
①ジェンダー階層の性質:
例えば、抗議的男性性や、男性優位の正当化に利用される女性性(強調された女性性:Emphasized Femininity)の観点からも見る必要がある。
②男性的構成の地理:
ローカル(地方)、リージョナル(地域)、グローバルという3つのレベルで分析し、国境を越えた舞台について考えるべき。
③社会的具現化のプロセス:
覇権的な男性性が男性の身体の表現や使用とどう関連しているのか、具体的な理論化をするべき。これについては、社会構築の実践モデルでは理解しにくいトランスジェンダーの実践が参考になる。また、支配階級の男性の日常生活に関する Donaldson と Poynting (2004) による研究では、エリート男性が富によって身体を拡張していること(スポーツ、余暇、食習慣)が報告されている。
④男性性のダイナミクス:
男性性を構成するすべての実践における重層性、潜在的な内部矛盾を認識すべき。ライフヒストリー研究では、男性性が時間の経過とともに構築され、変化することが示されている。覇権的男性性が必ずしも満足のいく人生経験につながるわけではないことは認識すべきだ。
―――以上のことが、2005年の論文「Hegemonic Masculinity: Rethinking the Concept」で示されている。繰り返しになるが、この論文は覇権的な男性性概念に対する批判と混乱、誤解に応答するために、コンネルとメサーシュミットによって書かれたものだ。このブログの文章は、私(周司)が論文を組み換えてまとめた。さらにこの論文以降も、Hegemonic Masculinity概念の論文はいくつか出ている。
個人的には、日本が英語ユーザーではないのが悔やまれるほどである。批判と応答部分では、たくさんの論文が参照されていたので、気になるところから読むのが面白そう。
ただし、この論文では覇権的な男性性の輪郭と、「こういう理解は適切ではない」ということがわかるにとどまり、では実際どのように覇権的な男性性を現場に適用可能かという話はされていない。
最後に示された4 つの主要領域について、日本の男性性研究では、見たところ④男性性のダイナミクス は導入されているが、①ジェンダー階層の性質、②男性的構成の地理、③社会的具現化のプロセス の領域についてはボロボロだと思った。
今だに「家父長制っていうのは、男性が女性を支配する構造のことで〜」という前提で止まり、世間的にはそれさえ共有されていないような。