FtM陰茎形成手術を問い直す『Hung Jury』

この記事は、洋書『Hung Jury: Testimonies of Genital Surgery by Transsexual Man』の紹介です。

『Hung Jury』は、2012年にTransgress Pressから出版されています。

主要な著者は、Trystan Theosophus CottenさんとBrice D. Smithさんです。

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●なぜ『Hung Jury』を紹介するのか

 

タイトルの“Hung Jury”という英語を調べると、「評決不能陪審」と出てきます。審議を重ねても一致しなかった評決、を指すそうです。これだけでは意味がわからないですが、"hung”は「巨根」のスラングでもあるらしいです。内容的には、トランス男性(FtM)の陰茎形成手術(ミニペニスではなく、大きなペニス形成)について話し合って判断しようよ、みたいな?

 

ちなみに、トランス男性がペニスを持ちたい場合の手術には、ざっくり2パターンあります。1つ目は、自身の陰核(クリトリス)を使って陰茎(ペニス)のように作り替えたもので、「ミニペニス形成(陰核陰茎形成手術)/metoidioplasty」と言うことがあります。

 

2つ目は、自身のほかの部位(太ももや前腕など)を使ってよりビッグなペニスを形成する場合の「陰茎形成手術(phalloplasty)」です。『Hung Jury』というタイトルでは、二つ目の陰茎形成手術をイメージしましたが、どちらの手術の経験談も載っています。

 

さて上記のタイトル予想でお分かりのとおり、この本はトランス男性の陰茎形成手術に焦点を当てています。私はこれまで陰茎形成手術だけを(肯定的に)語ったこれだけの文量を目にしたことがありませんでした。

 

なぜか?私自身が陰茎形成手術を受けなくてもいいや、とある時期から決めにかかっていたのもありますが、いや、その前に。なぜ陰茎形成手術の話題がほとんど聞かれないのか、その背景に注目すべきでしょう。

 

 

●なぜトランス男性間で陰茎形成手術の話題が控えめなのか

 

だって、不思議ではありませんか。「男性」の身体イメージとして、「ペニス」はありとあらゆる場所で紐付けられているように見えます。それなのに、トランス男性の話題になったときに、「ペニス」がすっかり減る状況とは。

 

ええ、もちろんわかっています。

 

第一に、性別(ジェンダー)は性器で決まっているわけではありません(たとえ出生時に医師が性器に基づいて性別分類をしていたとしても、実生活で自分や他人の性器をつねに意識する必要性はどこにもありませんから)。

 

第二に、トランス男性の性器形成は、途方もない費用と年月と痛みに耐えなければなりません。それゆえ、そこまで手術するトランス男性は数が少ないです。そうした経済的側面や、期間の長さ、難易度が理由で、トランス男性間でペニスの話題が控えられていることがあるでしょう。

 

日本のFtM YouTuberモリタジュンタロウさんによる調査『竿なし男子によるSEXの真面目な教科書』では、FtM・FtXやそのパートナーら240名にアンケートをとった結果、「陰茎形成手術までしたFtM」は、たったの1名(0.6%)でした。もちろん、偏りがあるのは指摘できますが(必要な治療の情報をすっかり得て納得する段階まで治療を済ませているFtMは、もはやFtM向けアンケートに解答しないかもしれません)、それにしても数が少ないでしょう。難易度が高く経験者も少ないため、トランス男性自身が諦めの境地に至って、「語らない」ことがあるのです。

 

第三に、手術したとしても、「ホンモノ」にはほど遠いはずだと散々見聞きすることです。うまく勃起や挿入もできないかもしれないし、排尿できる保証はないし、第一自分の精子で子どもを産めるようにはならないじゃないかと。そう聞かされて、諦めるトランス男性もたっくさんいたはずです。つまり、身体的な理由です。

 

第四に、トランス男性ならではの生き方が指摘できます。陰茎形成手術をしなくても自身の身体をポジティブに受け止めて男性として生活しているトランス男性もたくさんいます。シス男性がペニスにこだわっているからといって、トランス男性もペニスにこだわらなければならない理由は、本来ないのですよね。おまけに、もう何年もペニスのない身体で生きてきた以上、本人にとっては無い状態が自然に感じられる、ということもあるでしょう。

 

ここらへんの感覚は、「生まれたときから障害がある(→ないのが当たり前)」と捉えるか、「本来あるべきペニスが途中で失われてしまったような感覚がある(→あるのが当たり前だったはず)」と捉えるか。ペニスがないと生きていけないトランス男性の感覚というと、もしかしたら中途障害者の感覚に近いのかなと個人的には予想しています。

 

けれどもこの本の著者は、そんなトランス男性自身の、陰茎形成手術への否定的な見方(とくに上記2と3の理由)に疑問を呈します。

 

「僕は、陰茎形成手術の価値を下げるようなことを言いすぎてしまったのではないか……?」

 

偏見抜きで、また、シス男性のもつペニスを過剰に理想化することなしに、トランス男性の陰茎形成を語っていく試みが、『Hung Jury』です。

 

●日本で陰茎形成手術がマイナーな理由

 

さきほど「日本で陰茎形成手術までするトランス男性は少ない」という話をしました。日本国内で陰茎形成手術を望むトランス男性は、日本かタイで手術をおこなうことが多いのですが、「陰茎形成手術がマイナーである」というイメージは、アメリカのトランスコミュニティの影響も受けているのかもしれません。日本で生活していて、どうにか英語で検索してたどり着く情報というと、最初はアメリカの病院や当事者の情報になりがちです。

 

日本におけるFtMの草分け的存在である虎井まさ衛さんは、90年代にアメリカで手術を受けていますが、『ある性転換者の記録』という自伝のなかでそのときのアメリカでは陰茎形成が“franken dick”(フランケンシュタインみたいなペニス)と言われて不評らしい、と述べています。

 

でも、他の地域はどうでしょう?タイ以外に、「治療でオススメの国」があるには違いありません。『Hung Jury』で名前が挙がってくるのは、ベルギーです。Foreword(序文)には、「ベルギー出身のトランス男性からしたら、米国のトランス男性があまり陰茎形成をしていないということに驚いていた。彼は自身の陰茎にとても満足しているという」といったエピソードが登場します。

 

イギリスのトランス男性であるCharlie Kissさんのエッセイ『A New Man』でも、ベルギーで陰茎形成をした話が出てきます(私が書いた『トランス男性による トランスジェンダー男性学』で引用させてもらいました)。なぜイギリスからベルギーへ?と謎だったのですが、ひとつベルギーが陰茎形成の市場として(おそらくヨーロッパ圏で)知られているのかな、とようやく納得です。

 

そして、大事なこと。性器手術の費用がカバーされている(≒保険適用されている)国では、より多くのトランス男性が手術を受けることを選択しているといいます。お金の問題であり、アクセスしやすい環境があるかどうかにかかっているのです。

 

 

●本音はどこに?

 

また、トランス男性が積極的に陰茎形成手術をしない(できない)要因としては、「すっぱいブドウ」現象ではないかと。つまり、陰茎形成手術を手に届かないものだと諦めることで、財政的障壁やほかの障壁に直面したときに、自分の身を守ろうとしてあえて「陰茎形成手術を受けなくたっていいし……」と思っているのかもしれません。

 

このことは陰茎形成手術だけでなく、ほかのありとあらゆる面でもいえます。トランスジェンダーは「最も深いニーズ(our deepest needs)」を否定するように条件づけられてきているため、「求めたら罰せれられる」と無意識に恐れていることさえある、と指摘されています。

 

情報にも偏りがあります。これを書いている2022年末には、トランス男性で胸オペ(乳腺摘出、乳房切除)をする人は決して少なくありません。それどころか、男性ホルモン投与と同じくらい需要があり、実際に実行されてもいるではありませんか。

 

しかし元はといえば、胸オペだってマイナーで危険で訳の分からない手術だと思われていたわけです。けれども今では、(トランス男性の間で)メジャーな手術になりましたよね。ようするに、人々の認識、慣れの問題があります。陰茎形成手術に肯定的な表象が増え、経験者の語りが増え、保険適用などで安く実行できるようになれば、陰茎形成手術そのものへのタブー視(とは言わないまでも、「そこまでやるの?へー……」というしけた空気感)は減るに違いありません。

 

当事者の語りとしては、「性的感覚が減って快感を得られなくなってしまう」という否定的なイメージが先行される一方で、実際には「性的感覚が増して、陰茎形成して良かった」と意見する人たちもいます。そのため、実際に手術を必要として結果を喜んでいる当事者を差し置いて、マイナスなイメージばかり広がるのってフェアじゃないよね?という。それは確かにそうで、私も読みながら反省しました。

 

この本には、トランス男性でゲイであるルー・サリヴァンの青春エピソードも記載されています。ゲイバーで踊って、ゲイ男性やドラァグクィーンをナンパするのはルーにとって楽しいことでしたが、でも(女性と認識される可能性がある)トランス男性の自分と寝てもらうには、相手の男性を“異性愛者の男性”に変えなければならないのだろうか?と葛藤していた様子。トランスかつ同性愛者であると、医師からも理解されにくいことも、今に至るまで変わっていないようです。

 

トランス男性のイメージを拡張する、大事な一冊だと思いました。